深川江戸資料館

資料館ノート

第114号「長屋と人々の暮らし6 長屋で暮らす人びと」
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江戸の町の発展とともに増加した長屋住まいの人びとの生活振りは、現在でも時代劇や時代小説、江戸時代から続く歌舞伎や落語でも多く取り上げられています。本号では、長屋で暮らす人びとの生活についてみていきます。

第113号「長屋と人々の暮らし5 深川の人びとの暮らし」
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深川地域における特色ある職業・芸能は、当該地域の開発・発展を通して成立しています。本号では、深川地域における人びとの生業を中心に、生活する上で重要であった水との関わりについて取り上げます。

第112号「長屋と人々の暮らし4 展示室の舞台 深川佐賀町」
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本号では「深川佐賀町」を紹介します。深川佐賀町は深川猟師町、木場、蔵の町などの深川を代表する産業を育んだ町であり、そこで働く職人や商人をはじめ、長屋に住む人々が多くいた町です。「深川佐賀町」の町並や町の施設を通して、深川の特色を見ていきます。


第111号「長屋と人々の暮らし3 江戸の町屋敷」
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江戸時代初期の江戸の町人地は、幕府の政策である同業者集住(大工町など)に基づき決められた範囲でした。その後、住民の流動化が進み、土地や屋敷が売買され、幕府の政策から離れたところで町人の居住が進みました。本号では、江戸の町人地を形作った町屋敷について、沽券図を中心にみていきます。


第110号「長屋と人々の暮らし2 江戸の町割と制度」
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徳川幕府は「江戸」を日本の総城下町にふさわしい町づくりで開発しました。町割だけでなく、町の運営についても幕府は政策に基づき様々な管理を行いました。本号では、江戸の町割や町並みの特色と、町を維持する制度についてみてきます。

第109号「長屋と人々の暮らし1 江戸の町の発展と庶民の生活」
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江戸時代、庶民の代表的な住まい「長屋」は、落語や歌舞伎、浮世絵などで多く取り上げられている題材です。また、当館の常設展示室内においても大きな位置を占めています。本号から6回にわたり、長屋と人々の暮らしについて紹介します。今回は、長屋についての概要と、江戸の町との関わりについてみていきます。


第108号「大相撲の歴史と深川6 相撲と縁の人物の史跡」
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江戸時代の勧進相撲より大相撲と縁のある江東区は、富岡八幡宮の史跡を始め、力士や年寄、行司など相撲に関わる人物の墓所が数多く残っています。本号では、相撲寺と呼ばれている寺社を中心に、現在も残る史跡を紹介してきます。


第107号「大相撲の歴史と深川5 陣幕久五郎と横綱力士碑の建立」
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大相撲とゆかりのある富岡八幡宮は、12代横綱陣幕久五郎が「横綱力士碑」を建てた神社です。本号では、建碑に際して陣幕が作成・配布した刷物を紹介しながら、陣幕の足跡をみていきます。

第106号「大相撲の歴史と深川4 深川地域と勧進相撲」
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大相撲というと、墨田区にある両国国技館を思い浮かべる人が多いと思います。しかし、江戸時代まで遡ってみると、大相撲の定場所が両国になる天保4年(1833)までは深川地域で多く開催されていました。本号では、深川・本所地域の発展から、勧進相撲が深川地域で行われた理由と、その興行形態をみていきます。


第105号「大相撲の歴史と深川3 大相撲の歴史」
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現在、日本相撲協会のもと年間6回、本場所と呼ばれる興行形態の大相撲が行われています。本号では、日本における「すもう」の始まりから、現在の制度の基礎が確立された江戸時代の勧進相撲、そして現代までの大相撲の歴史を概観します。


第104号「大相撲の歴史と深川2 昭和の大横綱 大鵬」
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このたび昭和の大横綱・大鵬こと納谷幸喜氏の顕彰コーナーが深川江戸資料館1階ロビーにオープンしました。大鵬は、長年の貢献に対して平成21年に江東区初の名誉区民として表彰される等、江東区とゆかりの人物です。本号では、「横綱大鵬顕彰コーナー」のオープンを記念し、特別号として大鵬の業績や江東区との関わりについてみていきます。


第103号「大相撲の歴史と深川1 富岡八幡宮と大相撲の石碑」
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江東区は、大相撲の歴史とゆかりがある地域です。本号から6回にわたり、この大相撲の歴史と江東区について紹介します。今回は富岡八幡宮(江東区富岡1丁目)境内にある相撲に関する主な史跡、石碑について、その由来や内容をみていきます。


第102号「松平定信とその時代6 深川入船町御殿「松月斎」(深川海荘)
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老中を引退した頃から庭づくりに情熱を傾けた定信が最後に手がけたのは深川の抱屋敷「海荘(はまやしき)」でした。本号では、定信の作庭および「海荘」をみていくとともに、定信の晩年について取り上げます。

第101号「松平定信とその時代5 松平定信の致仕と文化活動」
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本号では、老中引退後の後期白河藩政と、さらに藩主を引退した後に文化人として活躍した定信の後半生をみていきます。政治家としての定信像は日本史の教科書などで多くの人に知られていますが、引退後は庭園・書画・和歌などの制作に没頭しました。人間性にあふれるエピソードや、この時期の江戸文化の潮流にも触れていきます。


第100号「松平定信とその時代4 寛政の改革と深川地域」
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白河藩主・松平定信は、天明7年(1787)老中に就任し、倹約や備荒貯蓄を推進し、のちに寛政の改革と呼ばれる諸施策を行いました。その中には、深川地域と縁のあるものもあります。本号では、定信が行った施策で無宿人の授産・更生を目的とした人足寄場と、江戸町入用の一部を積み立て、凶作や飢饉等に備えて籾の買い入れ費用に充てた七分積金の制について、深川地域とどのような関わりがあったのかみていきます。

第99号「松平定信とその時代3 江戸の打ちこわしと老中就任」
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天明7年(1787)、諸国では深刻な飢饉が発生しました。のちに「天明の飢饉」と呼ばれるこの飢饉を発端に諸国では打ちこわしが発生します。江戸も例外ではなく、その責任は当時の幕府内で力を持っていた田沼意次および田沼派へと向けられ、失脚へと追い込まれます。そして就任したのが松平定信です。本号では、田沼意次から松平定信の政権へと移行する一つの契機となった打ちこわし、そして定信の諸施策の中で、のちに重農主義と呼ばれる施策についてみていきます。


第98号「松平定信とその時代2 「松平定信」の登場」
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歴史の教科書などでおなじみの「松平定信」は、17歳で陸奥国白河藩松平家の養子となった彼が養父から贈られた名前です。将軍の家族の扱いを受ける田安家に8代将軍・吉宗の孫として生まれ、賢丸(まさまる)といった彼は、「定信」となる前の年月、どのような少年時代を過ごしたのでしょう。白河藩の養子となり「定信」となって、19歳の頃から養父と共に白河藩政に力を注いだと言われますが、どのように政治の舞台に登場してくるのでしょう。今号では、昭和3年に刊行されるまで松平家に秘蔵された彼の自伝『宇下人言』を史料として、定信(田安賢丸)の生い立ちと、若い日、白河藩政の舞台に登場するまでをみていきます。

第97号「松平定信とその時代1 江戸時代の三大改革」
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江戸中期の老中・松平定信は、江戸幕府の幕政改革のひとつ「寛政の改革」を推進したことで知られます。江東区白河は、白河藩主であった彼が深川霊巌寺に葬られていることに因んだ地名です。25年度の資料館ノートは、江東区とゆかりの深い定信の業績や生涯について紹介します。今号は、その冒頭の号になります。江戸時代全体の流れと3つの幕政改革を概観します。

第96号「七不思議の謎にせまる6 片葉の葦(あし)」
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「片葉の葦」や「置いてけ堀」などの事象は、常に「七不思議」として認識、記録されていたわけではありません。本所七不思議の場合、個別の事象としてあったものが、何らかの理由で七不思議とされるようになったと考えられています。本号では、片葉の葦を例に、七不思議の枠を外し、七不思議を構成する個々の事象に焦点をあててみたいと思います。


第95号「七不思議の謎にせまる5 江戸の町と記録にみる七不思議」
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江戸においても、特定の地域や空間にまつわる不可思議な事象を、七つ数え上げて「○○の七不思議」と称する事例がいくつもありました。本所七不思議などはその代表格と言えます。本号では、江戸に生成し、伝承、記録された七不思議について述べてみたいと思います。


第94号「七不思議の謎にせまる4 七不思議を記録する」
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七不思議の記録は中世にさかのぼることができますが、ここでは江戸時代に焦点をあてて、七不思議と呼ばれる事象や伝承が、どのように認識、記録されたのかについて、具体的な記録資料からみていきます。

第93号「七不思議の謎にせまる3 知識人による記録と江戸の怪異」
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 江戸時代は、怪談や妖怪などが知識人によって注目され、怪異小説、妖怪図集が刊行されたり、百物語が行なわれました。今回は、江戸時代、七不思議が注目されるようになった背景として、知識人による怪異へのまなざしを取り上げます。

第92号「七不思議の謎にせまる2 本所七不思議」
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江戸の七不思議で江戸時代からあるものの一つに本所七不思議があります。本所地域とは、隅田川の東側で、明暦の大火をきっかけに開発が進められたといわれている地域です。この本所七不思議が、いつ頃どのように形成され、明治・大正にかけてどのように形を変えていったかみていきたいと思います。


第91号「七不思議の謎にせまる1 「七不思議」の形成と江戸」
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皆さんの中にも、「○○の七不思議」と呼ばれる話を耳にしたことのある方が多いのではないでしょうか。本号から6回にわたり、この七不思議を取り上げます。今回は、七不思議とは何なのか、その形成と伝承について、全体的なことを説明します。また江戸という時代や地域との関わりにも触れます。


第90号「広重の旅と名所絵 6 『廣重武相名所旅絵日記』と広重の名所絵制作」
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歌川広重は、武蔵国・相模国の名所を数多く描いています。また、箱根までを往復旅行した時の旅絵日記が残されており、実際に旅したこともわかっています。ここでは旅絵日記に描かれた広重の旅、そして旅絵日記という広重の作品についてみていきます。

第89号「広重の旅と名所絵 5 広重と東海道」
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歌川広重の描いた東海道物は20種類ほどになると言われますが、なかでも「東海道五十三次」保永堂版は、東海道の風景を描いた出世作です。本作品はリアリティの高さが特徴的ですが、はたして広重は実際に東海道を旅したのでしょうか。本号では広重の旅と東海道を描いた作品との関わりについて述べます。

第88号「広重の旅と名所絵 4 中山道の旅と『木曽海道六拾九次』」
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広重の旅先での経験は作品成立にいかに影響を与えたのでしょうか。広重が中山道その他を旅したときの「スケッチ帖」(大英博物館所蔵)と「木曽海道六拾九次」との関わりについて取り上げます。


第87号「広重の旅と名所絵 3 広重の旅」
2011年09月号を見る pdfファイル

広重は生涯に幾度かの旅に出ていることがわかっています。今回は、その中から、記録の残っている甲州と房総の旅を取り上げ、広重の旅の実態について見ていきます。


第86号「広重の旅と名所絵 2 広重の江戸名所絵」
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広重は、その生涯で1,000点以上の江戸名所絵を完成させました。

本号では、広重の描いた江戸の名所絵について取り上げます。


第85号「広重の旅と名所絵 1 名所絵師広重の誕生と『名所江戸百景』」
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平成23年度は「広重の旅と名所絵」がテーマです。広重の名所絵はリアリティや臨場感のある画風で知られています。また、生涯に幾度かの旅に出て、スケッチも残っています。全6回の連載を通して、広重の旅の経験と名所絵制作の関係を取り上げます。本号は、名所絵師としての広重、また最晩年の代表作「名所江戸百景」についてです。


第84号「江戸庶民の旅と江東 4 成田山参詣と江戸出開帳」
2011年03月号を見る pdfファイル

千葉県成田市にある成田山新勝寺は、全国各地から参拝客の訪れる寺院です。江戸でも多くの人々の信仰を集めました。深川の永代寺でも出開帳をたびたび行なっています。ここでは、江戸の人々に受け入れられた要因について取り上げます。


第83号「江戸庶民の旅と江東 3 江戸っ子に人気だった大山詣」
2011年01月号を見る pdfファイル
相州大山詣では、江戸の人々にとても人気がありました。ここでは、その人気の背景を取り上げます。

第82号「江戸庶民の旅と江東 2 富士信仰と富士塚」
2010年11月号を見る pdfファイル
江戸時代、山開きのシーズンには、講を組織して、富士山や相州大山への参詣旅行が盛んに行なわれました。一方、富士山へ詣でることのかなわない人々のために、江戸に居ながらにして信仰を深めるために、江戸の各所に人工の富士塚が築かれました。ここでは富士講と江東区の富士塚を紹介します。

第81号「江戸庶民の旅と江東 1 伊勢参り」
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江戸時代中期以降は、街道などの交通網が整備され、庶民も旅を楽しむようになります。本号から4回にわたり、江戸庶民の旅について取り上げます。今回は、伊勢参り。江東区亀戸の旧家牧野家に伝えられてきた「道中記」も紹介します。


第76号「江戸の名物・名産と江東地域 2 深川猟師町と漁業」
2008年07月号を見る pdfファイル
深川南部を東西に流れる大島川(現在の大横川の一部)に沿って、昭和30年代に漁業権を放棄するまで、猟(漁)師町が広がっていました。今回は、深川猟師町の歴史に触れ、その特産品についてみていきます。

第75号「江戸の名物・名産と江東地域 1 資料にみる名物」
2008年05月号を見る pdfファイル
江戸時代、旅や外食などが広まったことなどにより、全国各地の産物が「名物」として注目されるようになりました。本号から6回にわたり、江東地域の名物について、産業や流通との関わりを中心に紹介していきます。

第74号「江東の掘割・川 6 江戸近郊農漁村の掘割〜生業の場、ハナシの舞台として〜」
2008年03月号を見る pdfファイル
小名木川や大横川が江戸を中心とした流通網であったのに対して、砂村地域の掘割は、農業や漁業のために開削されました。本号では、新田のなかを流れる掘割について紹介します。

第73号「深川南部の海岸線を形成して〜大島川・洲崎川〜」
2008年01月号を見る pdfファイル
深川南端の海岸線を生かして形成された二つの掘割と、その周辺の景観について取り上げました。

第72号「江東の掘割・川 4 本所の開発とふたつの大動脈」
2007年11月号を見る pdfファイル
本所奉行の設置とともに開削された大横川と横十間川をとりあげます。南北をつらぬき、まさに本所深川を結ぶ大動脈としての役割を果たしてきました。

第71号「江東の掘割・川 3 北十間川〜海岸線の記憶と本所の開発〜」
2007年09月号を見る pdfファイル
本所地域の開発に伴い開削された掘割のなかから、とくに北十間川をとりあげます。

第70号「江東の掘割・川 2 元木場の掘割〜「掘割網」の原型〜」
2007年07月号を見る pdfファイル
江戸初期、隅田川沿岸に開かれた運河と江東地域の開発についてとりあげます。