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財団設立40周年記念インタビュー「江東区の文化~未来へ~」第5回

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新内多賀太夫さん
第5回「新内節と江東」新内多賀太夫さん

 深川江戸資料館の展示室で新内流しを披露して30年。歌舞伎など他ジャンルとの創作活動も積極的な多賀太夫さんが語る伝統とは。

庶民に近い伝統芸能

 新内節は江戸後期に爆発的にヒットした江戸浄瑠璃の一つで、父の言葉を借りるなら「シンガーソングライターの走り」です。今なら週刊誌に載るような話題性のある事件をもとに曲をつくり、三味線で街角を流し(語り弾き)ました。代表曲といわれる『明烏(あけがらす)』や『伊太八(いだはち)』も、実在の人物の名前を変えて、お上の目に触れぬよう、時事情報を音楽にのせて聴かせた一面もあるので、庶民と近い距離にあった芸能と言えますね。

 新内節は、そもそも京都の一中節(いっちゅうぶし)から誕生した豊後節(ぶんごぶし)から派生しました。音楽的な特徴の一つは、高音と低音の起伏を激しく用いて、感情の吐露を表現する語りにあります。叫ぶように発散する節といいますか、江戸庶民は封建社会の中で暮らしていたので、抑圧された暮らしを音楽で発散させていたのでしょう。

 江戸には数えきれないほどの新内流しがいたそうで、歯止めが利かないほどはやったといいます。中でも、文人墨客が多かった吉原に出入りする流しは超一流で、並の新内屋さんでは対応できない曲を演奏したそうです。

江戸資料館での新内流しは私にとっての伝統

 深川江戸資料館の常設展示室での新内流しは、10歳の時からやらせていただいているので、もう30年のお付き合いになります。流しは本手の三味線と上調子の2人ペアで演奏するので、当時は姉と一緒に毎月出演していました。私の中では、資料館に出演させていただくことは「伝統」となっています。人生の半分以上をこちらで修業させていただいたというご恩もありますし、自分のこどもが生まれたら、資料館で演奏させていただきたいという夢もあります。

 新内流しはイベントなどで披露することが多く、基本は劇場で座って演奏をしています。資料館での新内流しはお客様との距離が近いため、劇場の舞台よりも演奏に対する反応が鮮明に分かります。その感覚を磨ける場は、他にはなかなかありません。江戸時代の新内流しの魂のようなものが鍛えられる場ですね。

新内節で伝えたいこと

 私は新内節に流れる普遍的な人の想いを伝える演奏を目指しています。例えば妻が夫を思う気持ちや恩人への気持ちなどの、今も昔も変わらない人の心、また曲をつくってこられた先人や演奏者たちの想い、そうしたものをつなげていくのが私たちの役割だと考えています。型という表面形式ではなく、どういう意味や意図があるのかという「心ある型」を後世に伝えていきたいです。

 大学時代、論文を書くために400年前の資料を開いた時、まるでタイムスリップしたかのように感じた瞬間がありました。当時の人もこの資料を同じように読んでいたのだという感動と同時に、不思議な感覚がありました。古い昔の事ではなく、まるで今あるような、今を生きている情報のように感じたのです。体感軸が時空を超えたのでしょうか。これは演奏でも同じことが言えると思います。私たちが芸を昇華させることによって、新内に興味のない人でも、時間軸を超越するような体験をしてくだされば、演奏者としてこの上なく嬉しいものです。

 とくに資料館は江戸の町並みが再現されていて、その体験をしてもらいやすいのではないでしょうか。江戸の人たちはこんな気持ちで演奏したり、聴いたりしていたのかななどと、私も思いを馳せています。その相乗効果に助けていただきながら、人の想いや感動が伝わってほしいと強く思っています。

(聞き手/片山祐子)
新内 多賀太夫(しんない たがたゆう)1982年生まれ。新内節演奏家。冨士元派七代目家元。6歳より父の新内仲三郎(人間国宝)に師事。東京藝術大学音楽学部邦楽科を卒業し、同大学院博士課程を修了。江戸浄瑠璃を幅広く研究し、「新内流し」をイベントで再現する一方、新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」では作曲などを担当する。

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