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アートコラム

2022/06/10

財団設立40周年記念インタビュー「江東区の文化~未来へ~」第2回

「落語と江東」

人情噺が多い深川

 財団とのご縁は約20年になります。思い出深いのは平成17年に森下文化センターで開催した落語講座。なんと受講生から2組のカップルが誕生し、ご結婚されました。また、受講生の中にはチェコからの留学生もいて、チェコの大学に呼んでいただき落語の公演を行ったこともあります。今もアメリカの学生さんの論文に協力していますが、落語がインターナショナルになっているのは確かですね。
 江東区を題材にした落語は『髪結新三』『鼠穴』『おせつ徳三郎』『名月八幡祭』『おさん茂兵衛』『牡丹灯籠』などいくつかあり、人情噺が多いのも特徴です。深川はよく人情深いともいいますが、昔から人情を語るのに都合がよい場所で、広くいえば江東区の人たちの心意気かなと感じます。
 その舞台には富岡八幡宮、亀戸天神社、梅屋敷などありますが、私のなかではやっぱり永代橋です。永代橋を挟んで深川と日本橋では、文化がまるで違うんですね。常磐津の『年増』を聴くと分かるのですが、深川の芸者さんは羽織を着て座敷に行く、なんとも江戸っぽいじゃないですか。
 いわゆる江戸城を中心とした文化は、上方の影響を受けています。例えば、言葉でいえば江戸弁の「おもしれぇ」は丁寧語だと「おもしろうござんすな」となる。これは 「おもしろおすな」という関西弁が転化したものです。
 一方、深川は芸者さんにしても、上方の影響を受けていない独自の庶民文化を創り上げてきました。松尾芭蕉や伊能忠敬が、深川を起点に全国を渡り歩いているのもおもしろい。だから、深川こそ本当の江戸文化だと言う人もいるほどです。異論もあると思いますが、間違いともいえないんですね。

落語は今に生きた芸能

 今は噺家が増えに増え、東京だけでも700人程います。ところが都内には定席の寄席が5つしかなく、若い噺家さんは寄席に出たいから目立とう、目立とうとする。この点はちょっとマイナスですね。
 今、落語の噺は400~500ありますが、それは先人たちが守ってきたもので、今後も伝え守らなければいけません。私たちはお客様に先人から伝えられた落語を「こんな噺もありますよ」と、お料理でいえば懐石料理をご提供し、そこには新しいものを取り入れた新懐石料理もあります。引き立てあっていくことが大事で、新しい噺家が増え、新しい噺を考えていくことはよいことだと思います。
 ただ、400年以上続く落語の基本という幹だけは絶対に腐らせてはいけない。しっかりと根付いた幹を次世代へ伝え、その幹にピンクや真っ黒な花が咲こうが、それは幹から出てきたものなので大事にしていく。ですから、若い噺家がどんどん噺を変えていき、その中に次の世代に残せる噺があればよいのです。
 落語をむずかしく考える方が多いのですが、落語は芸術ではなく芸能で、現代に生きているものですから古典でもありません。噺家もお客様も今を生きる人間ですから、そこに何を求めるかといえば、今の時代にあわせた共通項ですね。
 例えば『文七元結』は有名な噺ですが、長兵衛は娘が身を売った50両を、吾妻橋の上から身投げしようとしている見ず知らずの男に恵んでしまいます。昔なら江戸っ子らしい行動だと理解できた噺も、 現代人には理解しがたい。そこで「俺がいなくなったらこの大川に飛び込んで、お前死ぬのか?」 と、 昔にはなかったセリフを付け加えれば、命を救う行動だと理解していただけます。落語は決してむずかしい噺ではないのです。
 食わず嫌いをせず、ぜひ一度落語会にお越しください。

(聞き手/片山祐子)

プロフィール

柳家さん喬(やなぎやさんきょう)師匠

1948年東京本所生まれ。1967年のちに人間国宝となる五代目柳家小さんに弟子入り。1981年真打昇進。1994年度浅草芸能大賞新人賞他、受賞多数。2017年春、紫綬褒章受章。落語協会常任理事。江東区在住。

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