深川芭蕉庵跡地の近隣に開設された芭蕉庵史跡展望庭園の開園30周年を記念して、芭蕉庵の歴史や松尾芭蕉の暮らしを紹介する企画展を開催します。
「芭蕉庵があった」という歴史は、芭蕉没後も後世の俳人や地域に影響を与えました。芭蕉の門流である雪中庵3世の大島蓼太は、付近の要津寺(墨田区)に芭蕉庵を再興しました。また、明治時代の旧派宗匠三森幹雄は芭蕉神社(冬木、現存せず)を建立して宗教と俳句を融合させて活動しました。
さらに明治維新以降は、芭蕉庵跡地とわかる遺構はなくなってしまったといわれますが、大正6年(1917)に「芭蕉遺愛の石の蛙(伝)」が発見されたことにより、地域で芭蕉庵跡地を保存する活動が起こり、芭蕉稲荷神社(常盤一)が建立されました。
このように芭蕉庵跡地の変遷と、近隣で展開された俳句の歴史についても概観します。